勿体無い

最近知り合いのブログで「勿体無い論」を多く見かける。

ニュース23の中で「もったいない(MOTTAINAI)」という言葉を世界共通語として流行らそうとしている、と伝えていた影響だろうか?

この勿体無いという感覚は欧米人にはないそうだ。
環境分野で初のノーベル平和賞を受賞したケニア副環境相ワンガリ・マータイさんが国連での講演の中で、リデュース(ごみの減量)・リユース(再使用)・リサイクル(再利用)という3つの言葉を日本では一言で言い表すとして、この「もったいない」を紹介したそうだ。

古来日本では使い捨てという価値観はなく、米を落とした後のワラを縄や袋、履物や衣服として活かし、着られなくなった着物を布団としてまた命を吹き込んできた。
日本には動物でも、植物でも、山でも石でも、家でも何もかもに命が宿り、神様がいるという「八百万(やおよろず)の神」という考え方がある。
あるモノがそのモノとして使えなくなったといって、命のある「それ」を勿体無くて捨てられないという感覚は日本人なら自然と湧き上がる感覚だったはずだ。

それが今や国の外から「勿体無い論」が沸きあがっている。
色々なものがどんどん新しくなり、合理性ばかりが追求される中で、ちょっと立ち止まって考える心のゆとりが失われている。

ブログで多くの人がこの話題を取り上げていたのは、今考えないと取り返しのつかない事になる・・・と多くの人が共感したからなのだろうか・・・私も含めて。

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